2015年07月23日

アブラゼミ

ナイター設備のある某所で発見face08
抜け殻と思いきや・・・・・歩いてるぅぅぅぅぅ
で、捕獲して自宅玄関の日よけ用のターフに。。。。。。


意外と歩くのが速いです。
光に弱く、暗い所に行くのかと思っていましたが、玄関ライトに近寄ってジッとしてます。

22時24分
絶対に孵化する瞬間をこの目で・・・・・・と、暫く観察のはずがウトウトface04・・・・

0時47分
出てたぁぁぁぁぁぁ


白濁色に緑色した部分もあって、透き通った羽が綺麗!!!!

翌朝には文字通り、  もぬけの殻でした。。。。


由来・語源辞典201によれば「もぬけの殻」とは
「もぬけ(蛻)」は動詞「もぬける」の名詞形で、ヘビやセミなどが成長の途中で変化し、脱皮すること。
つまり、「もぬけの殻」とは、脱皮したあとの抜け殻のことをいうんだそうで。。。。emoji13  

Posted by 扇松DO at 23:23Comments(0)お散歩・寄り道

2015年07月15日

7月 いと、お菓子!

7月の「いと、お菓子!」

ご案内
梅雨お伺い申し上げます。
七夕は「しちせき」とも読まれ、7月7日の夕方を意味します。旧暦で行われた中国の民話が起源の行事で、梅雨が明けた夏の宵、織姫と彦星の星合の伝説です。絹織りと牛飼いは古代中国の大事な産業で、仕事を怠るなという戒めの意味が含まれています。また、日本の古い習俗では、続く7月15日に迎える「お盆」の準備をする日だったようで、七夕は棚幡(棚機)とも書き、これはお盆に祖先の霊をお招きする精霊棚のことだと言われます。お盆とひとつながりの行事と考えると粗末にはできません。

はりはら塾 小習いコース
「ヨーグルト・タルト」
ヨーグルト(トルコ語: yoğurt)は、乳に乳酸菌や酵母を混ぜて発酵させて作る発酵食品のひとつです。起源はヨーロッパ、アジア、中近東にかけての様々な説があり、およそ7000年前とされ、生乳の入った容器に乳酸菌が偶然入り込んだのがはじまりと考えられている。世界的な普及は、イリヤ・メチニコフ(微生物学者:ノーベル生理学・医学賞 1908年受賞)がブルガリア人が長寿で有ることを発見し『ヨーグルト不老長寿説』を発表した事によって広まりました。ヨーグルトの厳密な定義によると、「ヨーグルトとは乳及び乳酸菌を原料とし、ブルガリア菌とサーモフィルス菌が大量に存在し、その発酵作用で作られた物」と定められています。日本において乳等省令では「はっ酵乳」のことです。
日本では歴史的には「酪」(らく)と呼ばれ、仏教伝来とともに寺院の中などで伝えられていたが、寺院の外の庶民には広まらなかった。欧米や東アジアではデザートとして食べることが多いが、塩味の料理や煮込み料理に頻繁に用いられる地域もあります。
明治期以降の市販された当初は牛乳瓶と同じ瓶に入れられて販売されていたが、消費者の目には「腐ったミルク」「固まったミルク」と見られてしまい、販売業者にクレームが出たことから、牛乳との誤解を避けるため、現在の形状のプラスチック容器に入れて販売されるようになっていった。現代では、プレーンヨーグルト・ハードヨーグルト・ソフトヨーグルト・フローズンヨーグルト・ドリンクヨーグルトの形態で市販され健康志向の高まりから人気の多い食品のひとつです。
酸味との相性も良く、さっぱり感のあるデザートには良く使用されます。ちなみにサワークリームは、生クリームを発酵させたもので、水分量の違いに気を付けて代用されたりもします。




はりはら塾 本コース
「抹茶とホワイトチョコレートのムース」
抹茶は茶道で飲用として用いられるほか、和菓子、洋菓子、料理の素材として広く用いられる。茶の葉を蒸してから乾燥させた碾茶を茶臼で挽いたもので、濃茶用、薄茶用のもととなる茶葉の配合は茶舖により異なる。甘みがより強く、渋み・苦味のより少ないものが良しとされ、高級なものは濃茶に用いられるが、もちろん薄茶に用いてもOK。
爽やかな苦味は砂糖の甘味と良く馴染み、風味が際立つため、菓子の風味付けにも好まれる。和菓子はもちろん、洋菓子にも用いられ、抹茶味のアイスクリームは日本では定番風味の一つともなっていて、バニラ、チョコレートに次いで第3位の地位を占めている。
製茶業者は「茶師(ちゃし)」と呼ばれ、茶師はもともと茶葉を茶壷などに詰めて納めたところから「お詰め」とも呼ばれる。茶銘の末尾についている「昔」,「白」という表現は、現代では濃茶と薄茶の区別として用いられるが、本来は昔だけであり、後になって昔に対して白という表現が用いられた。昔という字は、最上級の茶の初摘みを行うといわれる3月20日 (旧暦)(廿日)の「廿(にじゅう)」と「日」を組み合わせたものとの説がある。茶席で正客が「茶銘は?」「お詰めは?」と亭主と会話するのが正にこれ!!。
ホワイトチョコレートは、1930年に初めて製造され、砂糖、ココアバター、乳固形分で作られます。カカオマスに含まれている口溶けのよい油分を主体とし、ココアバターから苦味のある褐色部分を除去して作られているため、味は普通のチョコレートと比べかなり甘さが目立ち、添加される脱脂粉乳のためにややミルキーでもある。褐色原料の除去により、チョコレートのもつ抗酸化成分も取り除かれているため、保存性は普通のチョコレートよりも低いです。
今回は、抹茶とホワイトチョコレートの甘味のハーモニーを楽しむ一品をひとつ。。



生徒さんのご感想は「めちゃ美味しかったface23」でした。


県営吉田公園 緑花大学
お題「朱夏」


「朝の花」と「竹筒水羊羹三色」


おまけ・・・・

講座の帰りに車の前を横断中face08
アカテガニィ~~!!!!?



  


2015年07月11日

6月 いと、お菓子!

6月の講座をまとめて・・。


「腐れたる草螢となる」ホタルは腐った草が変身して現れる、と表現されます。落ち葉がたまった水辺で、しっとりとした闇の中から優しい光が浮かび上がる様子を、先人がこのように想像したのかもしれません。ホタルの生育には、低温で流麗な水、豊富なカワニナ、やわらかな土壌、程良い木陰など多くの条件とバランスが必要です。日本の自然の、なんと細やかで巧妙なことか・・・、ホタルが教えてくれているようです。


県営吉田公園「緑花大学」いとお菓子!

お題は「梅雨」

「紫陽花」と「葉の雫」




はりはら塾
小習いコース「水羊羹」

古く「羊羹」とは、中国の料理で、読んで字のごとく羊の羹(あつもの)、つまりは羊の肉を煮たスープの類でした。冷めることで肉のゼラチンによって固まり、自然に煮凝りの状態となる。鎌倉時代から室町時代に、禅僧によって日本に伝えられたが、禅宗では肉食が戒律(五戒)により禁じられているため、精進料理として羊肉の代わりに小豆を用いたものが、日本における羊羹の原型とされています。
羊羹は、小豆を小麦粉または葛粉と混ぜて作る「蒸し羊羹」が始まりです。蒸し羊羹からは、芋羊羹やういろうが派生します。また、当時は砂糖が国産できなかったために大変貴重であり、一般的な羊羹の味付けには甘葛などが用いられることが多く、砂糖を用いた羊羹は特に「砂糖羊羹」。17世紀以後琉球王国や奄美群島などで黒砂糖の生産が開始されて薩摩藩によって日本本土に持ち込まれると、砂糖が用いられるのが一般的になり、甘葛を用いる製法は廃れていきます。
「練り羊羹」が日本の歴史に登場するのは慶長4年(1599年)で、鶴屋(後に駿河屋と改名)の五代目、善右衛門がテングサ(寒天の原料)・粗糖・小豆あんを用いて炊き上げる煉羊羹を開発したものが広まってからです。(他説あり)
当初、水羊羹(みずようかん)は、御節料理の料理菓子として冬の時季に作られたとか。御節料理としては、全国的にその風習も忘れられ、冷蔵技術の普及と嗜好の変化から通年化の傾向により、現在は主に夏に冷やして食されることが多いですが、地域によっては「こたつ羊羹」などとも呼ばれて、冬の寒い時期にしかお目見えしない水羊羹もあります。おこたに入って食べる、採れたて新豆の「こたつ羊羹」も、また格別の味わいでしょうか。
流し箱タイプのほか、アルミ缶やプラスチックカップに入った製品が市販され、高級和菓子店では棹物として、竹筒に入った製品なども販売されています。
夏の和菓子の定番「水羊羹」。。夏菓子の醍醐味を存分に味わいたいならば、水羊羹に行きつくのでは…?滑らかな口解けと、ひんやりとした優しい喉ごしが身上です。小豆の風味をストレートに味わうシンプルな配合ですので、素材の良し悪しと煮詰め濃度が大切です

今回は、近所の山で若竹を調達して・・・。


カットもなかなかの重労働face07


準備OKです。


で、・・・・出来上がりが。。。
「竹筒水羊羹」



本コース「青梅」

この時期は、二十四節気では芒種、七十二候ではその末候を「梅の子(み)黄ばむ」。梅の実が黄色く色づくとの意味です。旧暦では、立春から数えて百二十七日目を入梅(今年は6/11)としていて、この時期に降る雨なので「梅雨」という名が付いたとも言われています。
梅雨時の茶会の定番菓子銘の「青梅」。東京都の北西部には「青梅(おうめ)市」が存在します。市内の天ヶ瀬(あまがせ)という所に「金剛寺」というお寺があり、中庭に、石柱に囲まれた梅の老木があります。「将門誓いの梅」と呼ばれ、これが「青梅」という地名の由来になった梅の木と云われます。地名の起こりは諸説ありますが、この「将門誓いの梅」説が多くの人々に知られています。承平年間、平将門がこの地を訪れた際、馬の鞭に使用していた梅の枝を自ら地に挿し、「我願い成就あらば栄ふべし。しからずば枯れよかし」と願をかけたところ、見事に梅の枝は根付きました。ところが、この梅の木は実をつけるのですが、夏を過ぎても青いまま熟さずに、また、地に落ちることもなく枝に残っていました。当時の人々はこれを不思議に思い、この地を青梅と呼ぶようになったと伝えられます。「将門誓いの梅」は老木ですが、現在でもいくつかの実をつけ、秋になっても青い実を枝に残しているのを見ることができるようです。
さて、「外郎(ういろう)」とは室町時代の中国の黒い丸薬「透頂香(とうちんこう)」の日本名。とても苦かったので、口直しとして米粉と黒糖を混ぜて作られた菓子が外郎菓子の始まりです。棹物として有名ですが、今回は生地を青緑色に着色し、梅入りの白餡を包んで青梅に成形します。姿形は正に青梅、甘酸っぱい梅餡で梅雨時期でも美味しいお茶タイムを如何でしょうか?

尖った部分とおへその両方を形づくって。。

  


Posted by 扇松DO at 23:44Comments(0)いと、お菓子!